ヴォルカをこよなく愛する人の雑記です。
噴火はしない・・・!絶対に!
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人生は、失敗の連続で、後悔の連続。
自分のやってきたことがどれだけ間違っていたか、やった後でしか気づかない。
やる前に気づけない。
そんな人間なんで、耳年増や頭でっかちといわれても、理論武装だけはしっかりしたいんだよね。
でも、失敗してないと今後もっと大きな失敗をしていたかもしれない。
そうでも思わないとまともな精神状態で生きてく自信ないな。
勇気を出して一歩踏み出すたびに失敗を重ねてきた(踏み出したときには気づかず後で気づく)自分には、リスクをともなう一歩がなかなか踏み出せない。お金然り周りの目然り。
前向きな考えが出来ない人間のバックボーンは大方こんな感じだよ。
自分の感覚で行動していいことがなかった人間は、前向きに楽観的に積極的にって思考に持って行くことに抵抗があるんだよ。
教科書のない人生を感覚的に上手くやっていける人間は、才能、天賦と言いたい。
わかる。
楽観的に考えて成功した人間にとっては、自分のことをゴチャゴチャ言ってる人は悲観主義者に映り、
楽観的に考えて失敗した人間にとっては、自分のことをゴチャゴチャ言ってる人は楽観主義者に映る。
楽観主義者は、彼の人生においてリアリスト。
悲観主義者は、彼の人生においてリアリスト。
どっちも現実。でも、前向きに積極的に行動しないことには、引きこもって陰鬱な人生を送るしか手がないと思う。
その点で、本当に人生って不公平だよな、って思う。
臆病な人間、悲観的な人間が人生を謳歌するには陰鬱な生活に満足するしかない。
それが嫌なら、
成功するまで
就職できるまで
就活しまくってしまくってお金使いまくって面接受けまくって
彼女できるまで
告白しまくって相手に妥協しまくって相手を探しまくって恥をかきまくって
自分のやりたいこと、やってて楽しいことを見つけるまで
興味のないものにも目を向けまくって頭を使いまくって気を遣いまくって理解しまくってその環境作り(探し)まくって
途方もない生活を送らなければならない。
それならば、現状維持に甘んじる消極的な人間でいたい。
そんな気持ちも分かりますか? 行動して成功した人たち。
人間は才能と環境で決まる。
自分も親の引いたレールに沿って走ってきたから、それなりに今の生活に満足できてるけど。
そのレールがもっと糞だったら、と思うとね。
「行動したから成功した。自分が努力したから成功した」と言う人は、
行動して成功する才能、努力して成功する才能、行動できる環境、努力できる環境があるということに気づけば、多少考えも改められるんじゃないか。
「環境?自分で頑張ってそれも整えたんだよ」と言われても、
その整えるための行動をして成功する才能なんだよ。
それどころか、何かを行動する、努力するのも才能だと思う。
失敗組がそいつらに追いつくには、そいつらより遙かに行動や努力をするしかない。
結局、努力って言葉は失敗者に対するその場凌ぎの救いの言葉にすぎない。
エジソンの言葉に
『天才は99%の努力と1%の才能』とかあるけど。
努力するべし!って意味じゃなくて、
1%の才能が無いと、いくら努力しても無駄って意味なのは有名な話。
成功者であろうと失敗者であろうと努力していない人間はおそらくいない。
感謝するべきはその努力できた環境。
要は、親にKAN☆SYAっていうことです。
自分のやってきたことがどれだけ間違っていたか、やった後でしか気づかない。
やる前に気づけない。
そんな人間なんで、耳年増や頭でっかちといわれても、理論武装だけはしっかりしたいんだよね。
でも、失敗してないと今後もっと大きな失敗をしていたかもしれない。
そうでも思わないとまともな精神状態で生きてく自信ないな。
勇気を出して一歩踏み出すたびに失敗を重ねてきた(踏み出したときには気づかず後で気づく)自分には、リスクをともなう一歩がなかなか踏み出せない。お金然り周りの目然り。
前向きな考えが出来ない人間のバックボーンは大方こんな感じだよ。
自分の感覚で行動していいことがなかった人間は、前向きに楽観的に積極的にって思考に持って行くことに抵抗があるんだよ。
教科書のない人生を感覚的に上手くやっていける人間は、才能、天賦と言いたい。
わかる。
楽観的に考えて成功した人間にとっては、自分のことをゴチャゴチャ言ってる人は悲観主義者に映り、
楽観的に考えて失敗した人間にとっては、自分のことをゴチャゴチャ言ってる人は楽観主義者に映る。
楽観主義者は、彼の人生においてリアリスト。
悲観主義者は、彼の人生においてリアリスト。
どっちも現実。でも、前向きに積極的に行動しないことには、引きこもって陰鬱な人生を送るしか手がないと思う。
その点で、本当に人生って不公平だよな、って思う。
臆病な人間、悲観的な人間が人生を謳歌するには陰鬱な生活に満足するしかない。
それが嫌なら、
成功するまで
就職できるまで
就活しまくってしまくってお金使いまくって面接受けまくって
彼女できるまで
告白しまくって相手に妥協しまくって相手を探しまくって恥をかきまくって
自分のやりたいこと、やってて楽しいことを見つけるまで
興味のないものにも目を向けまくって頭を使いまくって気を遣いまくって理解しまくってその環境作り(探し)まくって
途方もない生活を送らなければならない。
それならば、現状維持に甘んじる消極的な人間でいたい。
そんな気持ちも分かりますか? 行動して成功した人たち。
人間は才能と環境で決まる。
自分も親の引いたレールに沿って走ってきたから、それなりに今の生活に満足できてるけど。
そのレールがもっと糞だったら、と思うとね。
「行動したから成功した。自分が努力したから成功した」と言う人は、
行動して成功する才能、努力して成功する才能、行動できる環境、努力できる環境があるということに気づけば、多少考えも改められるんじゃないか。
「環境?自分で頑張ってそれも整えたんだよ」と言われても、
その整えるための行動をして成功する才能なんだよ。
それどころか、何かを行動する、努力するのも才能だと思う。
失敗組がそいつらに追いつくには、そいつらより遙かに行動や努力をするしかない。
結局、努力って言葉は失敗者に対するその場凌ぎの救いの言葉にすぎない。
エジソンの言葉に
『天才は99%の努力と1%の才能』とかあるけど。
努力するべし!って意味じゃなくて、
1%の才能が無いと、いくら努力しても無駄って意味なのは有名な話。
成功者であろうと失敗者であろうと努力していない人間はおそらくいない。
感謝するべきはその努力できた環境。
要は、親にKAN☆SYAっていうことです。
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ちょっと考えてみた
・「悲観的な人は成功できないよ?」
って前提ありきの気がせんでもないわけで、
悲観的であるからこそ石橋を叩いて渡るような慎重さが生まれるのでは?
国家、自治体、企業のような組織の中で活動をする場合に、強引にでも牽引する役(楽観主義者)、
それを調整して行き過ぎを抑制する役(悲観主義者)が必要で、
そのバランスによって「成功」するんではないだろうか?
そう考えると悲観主義者でも全体としての成功を収めることはできはしないかい?
・「成功組」「失敗組」「楽観的」「悲観的」の定義とは
なんだかごっちゃで述べられている感があるのだが、
自分が思うに、ここで延々と述べられている上記4つの定義はそもそも各個人の主観に委ねられる。
(少なくとも他者からの視点での評価ではないだろう)
となると、「失敗」しているけど楽観的な人は成功組になるのか?
逆に、「成功」しているけど悲観的な人は失敗組になるのか?
うーむ、書いていてわけ分らなくなってきたぞw
・「環境」について
成功組はその環境にまず感謝してると思う。それによって更に良い方向に向けただけで。
失敗組はたとえベースとなる環境がいくら恵まれていたとしても、
それに気付かない才能があるんではないのかと経験から思う。
そういう人は大概失敗したことを環境のせいにしたがる性質があるとも思う。(これは楽観、悲観関係ないとも思う)
長々、駄文すまん。
って前提ありきの気がせんでもないわけで、
悲観的であるからこそ石橋を叩いて渡るような慎重さが生まれるのでは?
国家、自治体、企業のような組織の中で活動をする場合に、強引にでも牽引する役(楽観主義者)、
それを調整して行き過ぎを抑制する役(悲観主義者)が必要で、
そのバランスによって「成功」するんではないだろうか?
そう考えると悲観主義者でも全体としての成功を収めることはできはしないかい?
・「成功組」「失敗組」「楽観的」「悲観的」の定義とは
なんだかごっちゃで述べられている感があるのだが、
自分が思うに、ここで延々と述べられている上記4つの定義はそもそも各個人の主観に委ねられる。
(少なくとも他者からの視点での評価ではないだろう)
となると、「失敗」しているけど楽観的な人は成功組になるのか?
逆に、「成功」しているけど悲観的な人は失敗組になるのか?
うーむ、書いていてわけ分らなくなってきたぞw
・「環境」について
成功組はその環境にまず感謝してると思う。それによって更に良い方向に向けただけで。
失敗組はたとえベースとなる環境がいくら恵まれていたとしても、
それに気付かない才能があるんではないのかと経験から思う。
そういう人は大概失敗したことを環境のせいにしたがる性質があるとも思う。(これは楽観、悲観関係ないとも思う)
長々、駄文すまん。
コメしてくれるとは・・・
・「悲観的な人は成功できないよ?」 て前提感
悲観的な人の成功はたしかに考えてなかったというか、語るに当たって疎かにしていた。まぁあまりイメージできてなかった。
・「成功組」「失敗組」「楽観的」「悲観的」の定義とは
おそらく、楽観=行動 と結んで書いていたからややこしくなったのかもしれない。
そもそも、楽観と悲観を行動の成功失敗に重ねて述べた時点で駄目だったかな。
・「環境」について
おおむね書いてあるとおりだと思う。
→そういう人は大概失敗したことを環境のせいにしたがる性質があるとも思う。(これは楽観、悲観関係ないとも思う)
についてだけど、どちらかというと自分としては、環境のせいにしない人はもっと環境のせいにしていいと思うってことが言いたかった。
恵まれた環境に気づけないなら、その才能のせいにしていいと思うと言いたかったわけです。
もちろん「自分のせいじゃない」と考えろと言っているわけではないよ。
悲観的な人の成功はたしかに考えてなかったというか、語るに当たって疎かにしていた。まぁあまりイメージできてなかった。
・「成功組」「失敗組」「楽観的」「悲観的」の定義とは
おそらく、楽観=行動 と結んで書いていたからややこしくなったのかもしれない。
そもそも、楽観と悲観を行動の成功失敗に重ねて述べた時点で駄目だったかな。
・「環境」について
おおむね書いてあるとおりだと思う。
→そういう人は大概失敗したことを環境のせいにしたがる性質があるとも思う。(これは楽観、悲観関係ないとも思う)
についてだけど、どちらかというと自分としては、環境のせいにしない人はもっと環境のせいにしていいと思うってことが言いたかった。
恵まれた環境に気づけないなら、その才能のせいにしていいと思うと言いたかったわけです。
もちろん「自分のせいじゃない」と考えろと言っているわけではないよ。
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